テキスト
新緑の季節ですね。
自然に触れ深呼吸をしてみると、子育てのイライラも少し落ち着くかもしれません。
今月のテーマは「子供の心に届くしつけ」「お母さん、もう大丈夫!」です。
母親であれば、きちんとしつけをして、我が子を立派に育てたいと思うことでしょう。でもしつけは、言葉でいったからといってできるものではありませんね。
「しつけ」というと、しっかり育てなくてはと叱ってしつけるイメージを持たれるかもしれませんが、それでは、子供の悪いところばかり、できていないところばかりが目について、1から10まで「だめでしょう」「こうしなさい」「ああしなさい」と注意ばかりしてしまいそうです。親が子供に対して、理想の型を描き、立派にしようと思って、よくしようという思いが強ければ強いほど、うまくいきません。
それは、「こんな子にしたい」「こんな子でなければならない」と子供を親の望みどおりにしようと縛ったり、“悪いところがある”という前提に立って、親のよくしたいという思いを子供に押しつけようとしますから、子供には通じないばかりか、子供は自分が悪く見られていると思ったり、愛されていないと思ってしまいます。
人間は「神の子で、すばらしい」のが、本当の相(すがた)ですから、子どもに内在する神性をまず「信じる」ところから、「しつけ」ははじまります。
本来素晴らしいのですから、その子の中にある「すばらしさ」を引き出してあげることが、「しつけ」です。特に母親は自分の力でなんとかしなければならないと考え、ここが「悪い」から「良くしよう」という焦りや「こうでなければ」という執着の思いがわいてきますが、「本来すばらしい」のですから、「ダメじゃないの」というのではなく、子供を尊敬してお世話をさせていただくという気持ちで「こうすればいいよ」「次はもっとよくできるよ」と明るく積極的なコトバを使って、繰り返し大切なことを教えながら、できるのを「楽しみに待っているからね」というような思いで導いてあげるとよいですね。
「しつけ」には明るいものの考え方ができるよう習慣づける「心のしつけ」と良い生活習慣(言葉遣い、態度、服装など)を身につける「形のしつけ」があります。
・「心のしつけ」は、「人間は神の子であり、肉体が人間ではなく、生命が人間である」ということの自覚を子供が持てるよう親がコトバで導き続けることです。子供自身が、努力し続けることによって、どんなに難しそうに見えることでも成功できるものだということや、人間は誰でも大きな夢や理想を持って前向きに生きることができること、自分のことばかり考えずに、人の役に立つ“神の子”の尊い自分であるということを伝えていきましょう。
・「形のしつけ」は、一度教えたから、わかるというものではありません。何をどうすることが善いことであるかを、何回でも、根気強く、幼い時から繰り返し繰り返し両親が教えて、そうせずにはいられない習慣性が身につくように導いて、善事を行うよろこびの体験を、味あわせてあげるとよいですね。
子供が間違った行為をしたときは、叱ることも必要ですが、「あなたは、素晴らしい神の子だ」という思いで教え伝えるのと、「あなたはダメなんだから」という思いで伝えるのとは子供が持つ親への信頼感や自己のイメージは全然違ってきますね。
前生長の家総裁・谷口清超先生著『父と母のために』には、次のように説かれています。(32頁)
大体子供は親の言う通りにはしないが、親のする通りをする……といわれるように、いつとはなしに親を見習って育つのです。だから口でガミガミ言うより、自分で実行してみせるのが最もよい「教育」であることは間違いありません。
「子供は父母の背中を見て学ぶ」
などといわれるのも、このような事実を教えている。ことに子供は幼い時ほどそのような「感化」を強く受けるものなのです。
「しつけ」は、一朝一夕にできることではなく、家庭生活の営みの中でひとつひとつ身につけていくものです。子どもは、親の言う通りにはしませんが、親のするとおりをするといわれるように、いつも、なんとなくしている親の行動を見習って子どもは育っていきます。だから、口でガミガミいうのではなく、自分で実行してみせるのが一番よいしつけになります。とくに、幼いときほど、そのような影響を強く受けるものですから、いつも一緒にいるお母さんのコトバ(身→よい行い・口→よい言葉・意→よい思い)の習慣はとても大切だということになります。「思いやりのある子に育ってほしい」と思えば、日々の小さな行いのなかに感謝の思いを現しながら、人や物や事への思いやりの姿をたくさん見せていくことで、子供の心に思いやりは育ちます。思いやりのある人のそばにいて、はじめて思いやりの心が育っていくということです。
生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生はご著書『46億年のいのち』に、次のように書かれています。(87~89頁)
親子や夫婦、兄弟姉妹などの身近な家族を、人はみなかけがえのない大切な存在であると思っている。けれども同時に執着の思いもあり、自分の理想を相手に求めたり、こうでなくてはならないと思ったりする。家族はありがたいものであるが、執着の思いが強すぎると、自分も縛ってしまい、お互いの関係が上手くいかず、自分自身の人生さえも、当たり前に生きることができない場合もある。
(中略)
親は子供に、自分では気が付かないうちに、色々なことを求めていることがある。家族は、ただいてくれるだけで、ありがたい存在であるのに、それ以上を求めるところから、様々な問題が起きてくる。夫や妻、子供、親、きょうだいなどの存在をただありがとうと感謝したい。
親は、子供を愛するからこそという思いがあってのことですが、そのことが子供への執着となっている場合もあります。身近な家族であればあるほど、執着の思いは強く、子供の成長とともに、形の方から縛るだけでなく、心で縛っているということに気がついていないこともあります。
親の理想、親の願う学校、親の願う結婚相手など、子供の成長とともに、親の勝手な思いや好みを押しつけることは、子供の負担となり、親自身もそうならないと、心配になって取り越し苦労をしてしまいます。
生長の家では「神の子は、神が育て給う」と説かれていますが、我が子を「神の子」と信じることができると「生まれてくれてありがとう」とただ生きていてくれることへの感謝の気持ちが湧いてきます。その思いを深めるために是非『日時計日記』に子供への祝福の言葉をつづってみましょう。大きくなると、面と向かって言えないものですが『日時計日記』に書いていると「祈りと愛語と讃嘆」のコトバの力は強力に働き、その子が神さまから与えられた天分を生かしていけるよう応援することができることでしょう。
生長の家総裁・谷口雅宣先生は『日々の祈り-神・自然・人間の大調和を祈る』に次のようにお示しくださっています。(140頁)
すべての人間の真実の願いは、自他の障壁を越える愛の実現である。もし我に敵対するように見える者がいれば、それは我の“鏡”だと知れ。我の敵対する心が、本来一体である彼または彼女に映っているのである。我が敵意が、相手に映って見えているのである。敵意が「映り」、憎しみが「移る」ように見えるのは、彼と我とがその本質において一体であるからである。一方の性質が他方に反映し、あるいは移動したりするためには、双方が同質でなければならない。したがって、彼と我とは一体である。我が「神の子」の本質を輝かし出せば、相手も「神の子」の姿を現わすのである。だから、我はすべての人間に内在する神性・仏性を拝むのである。
「しつけ」は、「子どもは神の子で、本来善である」と信じるところから始まり、人と人、人と自然との間に愛があらわれるように、調和した生活ができるようにすることです。
お母さん自身が本来自分に内在する神のいのちを現しだして、豊かな人間関係を築き、夫婦仲良く家庭を明るい雰囲気に整え、子供の心を楽しい状態にしてあげましょう。
お母さんが笑顔でいてくれることが、子供にとって何より嬉しいことです。例え一人親の場合でも、周囲の人との豊かな人間関係があると、子供の心は素直に伸びていくことができるでしょう。
✤子供と一緒に家庭菜園(プランター菜園)をやってみませんか
野菜はスーパーで買う物というものだったかもしれませんが、一つでも野菜を自分で育ててみると、作られている方のご苦労や土や水、太陽の恵みの有難さを感じ、種や苗が大きくなる自然の力の不思議さや美しさに気づきます。
「野菜や木の実や果物は、私の体に必要な栄養を豊かに与えてくれます。そして私は、植物を大切に育て、多くの種類が一緒に生きる美しさの中で、神さまの愛を感じます。ありがとうございます。」
(生長の家総裁・谷口雅宣先生著『神さまと自然とともにある祈り』23~24頁)
このような神さまの愛も、自分で作ってみることで、実感をもって味わうことができますね。また、『日時計日記』『こども日時計日記』に、親子で野菜の成長を楽しみながら記すと、子供とのコミュニケーションも生まれますし、よい習慣のしつけにもなります。
また、この度の新型コロナウイルスの感染拡大の自粛要請や、大勢の人との接触に不安を感じた方も少なくないと思いますが、そんなとき、少しでも、家庭菜園で採れる野菜があると安心で嬉しいものです。これから、家庭菜園には、とてもよい季節です。お子さんと一緒に楽しみながらチャレンジしてみませんか♪
さて、今月の普及誌「白鳩No122」も大変参考になりますので、併せてごらんください。また、全国で開催されています生長の家の「母親教室」へのご参加を心よりお待ちしています。