WEB版誌友会

2016.8「母と娘の幸せな関係」

2016年8月3日  

「母と娘の幸せな関係」

 

テキスト    谷口雅宣先生著 『日時計主義とは何か?』

       谷口純子先生著 『白鳩』普及誌No.77

 

幸せな結婚をして子どもを授かることは大きな喜びです。それは神の生命が天降って、母親の体内に宿り10月10日(とつきとおか)間育まれて、この世に神の生命を宿した神の子が誕生するということで、とても神性なことです。だから、生長の家では、人間の実相(本質)は神の生命が宿った神の子であると説いています。

親は無事に我が子が誕生した時の喜び、何ものにも変えられない尊い宝物(神の子)を授かったことへの感謝、感動を何時も、忘れないようにしたいものです。

今月のテ-マは、「母と娘の幸せな関係」です。幸せな母娘関係を築くにはどうしたら良いでしょうか。

 

人間・神の子・完全円満を信じる

 

近年は核家族化が進み、子育ての負担が母親に集中してしまうのが状況です。幸運にも、母親教室で「人間・神の子」の真理を学び、生長の家の教育法を実践していけば、母親は子どもの天分を伸ばしながら心穏やかに楽しく子育てをすることができます。

子育て中のお母さんは、現象の我が子の姿を見て一喜一憂するのではなく、唯神実相(神が創られた本当の世界は、善一元で悪はない。人間の実相は無限の可能性を持った神の子で完全円満である)と唯心所現(現象世界は私たちが認めたものが現れる)の真理を学び、実相と現象を明らかに区別して、現象にどんな悪い相(すがた)があらわれても、唯、実相を観じる「観の教育」を実践することが大切です。そして、子どもに内在する神性・仏性を信じ、想念(意)・発生音「口」・表情〈身〉の「コトバの力」によって無限の可能性を引き出すことができるのです。これが生長の家の教育法です。

人間の実相(本質)は完全円満で、神様の御徳である無限の智恵、愛、生命、供給、喜び、調和が宿っているのですから、それを信じ、子どもの生命を拝み、「神の子は神が育て給う」と神様にお任せした心境になって、現象の背後にある実相(神性・仏性)を和顔・愛語・讃嘆の言葉で引き出していけば良いのです。我が子を一個の人格を持った“神の子”として尊重して育てることがとても大切です。ともすれば、母親は我が子を“私が産んだ子”と思いがちですが、神様からお預かりした神の子と観じて、“育てさせていただく”という気持ちが大事です。そのためには、母親は毎日、神想観をして自身が神の子の自覚を深めながら、現象の奥の完全円満な我が子の本当の相を直視し、すでに実相が顕現していると信じ、祈ります。そして、神様に全托して、子どもの善い所を賞めて認めてやれば、子供は心が満たされて、素直に明るく積極的に素晴らしい天分を延ばしていくことができるのです。

夫婦が仲良く調和して、子どもの善くない所を直そうとするのではなく、内に宿る実相の完全円満さを信じるのが本当の愛です。その子どもを信じる愛が子に内在する本来の素晴らしさを引き出し、親の神性・仏性も開発されるのです。

 

日時計主義で心豊に

 

親が毎日、不安や満たされない気持ちで生活していては、家庭は子どもにとって、苗床のような暖かい居場所ではなくなります。いつも、父母が仲良く、和顔、愛語、讃嘆して喜び感謝し合っている家庭では、子どもは安心してスクスク育ち、伸び伸びと天分を発揮することができます。日常の当たり前の生活の中に、真なるもの、善なるもの、美しいものや、喜び、感謝、感動を見出して家族皆で表現していけば、家族皆が心豊かに幸せな気持ちになれます。満たされない心を抱えて、不平、不満を漏らし、相手に求め、苦しめる生き方ではなく、人生の光明面を見る日時計主義の生き方を実践していきましょう。

生長の家総裁・谷口雅宣先生はご著書『日時計主義とは何か?』の中で次のようにお示し下さっています。(4~5頁)

 

 人間や人生の“善い面”を伝える報道や情報が枯渇している中では、次世代に希望や喜びを与えることはできない。教育の基本は「愛」と「信頼」と「明るさ」であるのに、「憎しみ」と「疑惑」と「暗黒」の情報が子供たちの環境を覆っていては、教育改革など絵空事である。まず、子供たちに一番近い親世代の人間が、人生と社会の「真実なるもの」「善なるもの」「美しいもの」を認め、讃嘆することから始めるべきである。親が人生に喜びを見出さずに、子が幸福を感じることなどできるはずがない。

私がいう「人生の喜び」とは、収入の多寡や所有物の多さのことではない。他人と比較などしなくても、自分の周囲に、そして自分そのものの中に、真実や善や美はあるのである。それを見出すための心の訓練が「日時計主義」である。

 

「放つ愛」を学ぶ

 

母親は子どもが成長するに連れて、自分の過去の経験や価値観を基に、子どもの理想像を描き、幸福な人生を願い、こうあって欲しいと思って、子どもを自分の望む型にはめようとしがちです。自分が果たせなかった夢を子に期待したり、世間体を気にしたり、親の職業を押しつけたりと、子を愛するがゆえに執着の愛で子どもを縛ってしまいます。特に母親と娘の関係は、女性として人生を歩んできた経験もあって、そのような傾向になりやすいのではないでしょうか。しかし、それは間違いです。

娘の実相は神性・仏性が宿った素晴らしい神の子です。無限の可能性を秘めた天分と自由が神様から与えられています。たとえ親でもそれを奪うことはできません。母親は現象に捕らわれることなく、現象の奥に内在する娘の実相を信じ、礼拝し、神様に全托して、娘への執着の愛を放ち去り、娘に完全な自由を与えましょう。そうすることで母の心の縛りが解かれ、娘は自由に自分の天分を生きることができます。この執着の愛を放つことが親の努めであり高度の勉強ですが、最高の愛-“放つ愛”を学ぶことができるのです。

 

白鳩会総裁・谷口純子先生は、普及誌『白鳩』No.77の「母と娘」の中で“放つ愛”について次のようにお示し下さっています。(11~12頁)

 

 子供は親に認めてもらいたいという願いがある。そのため、親の期待に応えようとするが、親の理想とは違う自らの願いがでてくると、そこに葛藤が生じる。(中略)

一方の親は子供に期待するところが多いので、自分の価値観を押し付けようとする。親の気持ちとして、自分の理想を子供が生きれば、幸せになると思うのだ。けれどもそれは自分勝手な願いで、子供には子供の人生がある。私は三人の子育てで、そのことを学んだ。子供を自由に生かすこと、子供に対する執着を放つことが、親の務めであり、最大のレッスンだと私は思っている。

 

「祈り」と「愛語」と「讃嘆」で愛を表現しましょう

 

すべての不調和な問題は、愛の欠乏から起こります。母と娘の関係の中で、親は娘を愛するが故に、娘の現象の姿が見て、悪い所を直そうと注意したり、叱ったりしてしまいます。娘は親に反発し不満を持って、頑なに口を噤んだりするのも、本当の愛が現れていない、神の愛が表現されていないからです。

「生長の家七つの光明宣言」には、「吾等は生命の糧は愛にして祈りと愛語と讃嘆とは愛を実現する言葉の創化力なりと信ず。」と示されています。

人間は神の子で、神の無限の力が内在していますが、それは表現しなければ出てきません。子供に宿る実相を直視し、礼拝し、祈り、愛深い言葉で讃嘆し、表現して、伝えることができなければ、親がどんなに子供を愛していても、生命の糧とはならないのです。実相を観じて祈り、愛語と讃嘆の言葉となって現れた時、母の愛が娘の生命を生かす力となって発現するのです。母親は娘の実相を祈り、「あなたは神の子で、こんなところが晴らしい。お母さんは、あなたが大好きよ。」と、子供の善いところをしっかり認めて讃嘆してやれば、子供は母親に愛され、認められ、賞めてもらえたことが大きな喜びとなり、勇気が湧いて内在する無限の可能性が引き出され、神性・仏性が開顕するのです。子供の善い所を見出し『日時計日記』に書いて、祈り讃嘆しましょう。

 

今月も普及誌8月号には、母と娘の幸せな関係を築くための事例と5つのポイントを紹介しております。参考になると思いますので是非お読みください。

また、生長の家白鳩誌友会が全国で開催されています。是非、地元の白鳩誌友会にご参加下さい。