◇避難中も前向きに
私は学生時代に、友人に本を借りたのがきっかけで、生長の家に触れました。
結婚をして、夫と姑と私の三人で福島県浪江町に暮らし、夫は会社勤めの傍ら梨園を営んでいました。そんな時、東日本大震災が起こりました。地震による原発事故のため避難を余儀なくされました。私たち家族は避難所二か所を転々とした後、埼玉県で生活している長男が借りていたマンションに1か月半生活し、その後夫の仕事の関係で栃木県での生活となりました。
避難中でも生長の家の御教えのおかげで、不安はなく前向きでいられました。又行く先々でいろいろな方に良くして頂きました。
◇神様にお任せの心境で
避難生活四年目に入った平成26年11月、私の住んでいた地区はまだ除染も行われず、除染して一時は放射能の数値は下がっても何か月かするとまた数値が上がるということを聞き、もう我が家には戻れないと思いました。
そんな中、長男夫婦から「今度土地を買って家を建てたいと思っているのだけど一緒に住まない?」と願ってもないことを言われ、快諾しました。相談の結果、隣同士で建てることに決めました。しかし、なかなかこれといった物件が見つかりませんでした。
そんな時、私はふと「どんな問題も神様にお任せすればいいのです、そしてお任せした後は心配する権利はないのです」と講話で聞いたことを思い出しました。「そうだ、神様に全托しよう」と思い、全托できるように『日時計日記』に書くことにしました。早速「H家の終の住処が神様、ご先祖様の御心の地に決定しました、ありがとうございます」と書き続けました。書く前は、時々「そんな都合のよいところは見つからないかもしれない」と悲観的になりましたが、書き続けていくうちに全托したのだから大丈夫との思いが強くなってきました。
◇『日時計日記』を書き続けて
一か月くらい経つと、ちょうど条件にぴったりの物件が見つかりました。人気があり、抽選となり、確率は低いと言われていたのですが、おかげさまで奇跡的に隣同士二区画を購入することができました。
私は、『日時計日記』は頒布された当初から書いています。私にとって『日時計日記』は生活必需品となっております。これからも良い面だけを書き続けたいと思います。(埼玉、H)