WEB版誌友会

2016.7「もっと知りたい、先祖供養」

2016年7月6日  

「もっと知りたい、先祖供養」

 

テキスト    谷口純子先生著  普及誌『白鳩』No.76

      谷口雅春先生著  『新版 人生を支配する先祖供養』

 私たちは、春や秋のお彼岸、お盆には亡くなった父母やご先祖様を偲んでお墓参りをします。死後、肉体は亡くなっても先祖に心を向けて生前のご遺徳に感謝を捧げると、今、私が生きている、否、先祖から命を頂いて生かされていることへの感謝の気持ちが湧いてきます。神様の命や御徳が先祖を通して受け継がれ、私たちの生命となって流れてきていることに気づきます。

生長の家では、人間の本質は神の子で、肉体的存在ではなく、霊的実在であり、魂は永遠生き通しの生命であると、説いています。人間は神様から無限の智恵、愛、生命を頂いた神の子ですから、肉体が亡くなっても、死なないのです。魂は霊界に移行し、「人間の実相は本来、如来であり、神の子である」という真理を悟るために修行を続けていくのです。私たちが報恩感謝の真心を込めて真理の書かれたお経を読誦することは、ご先祖様の何よりの供養となります、霊界で真理を悟り、高い御位に上られた霊魂は、一層、子孫を守護してくださるようになるのです。

今月のテ-マは、「もっと知りたい、先祖供養」です。

 

先ず、父母に感謝しましょう

 私たちは皆、父母から生まれてきました。大生命の愛が生きた肉体を備え、目に見える形であらわれているのが両親の愛です。『大調和の神示』には「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」と示されています。自分をこの世に生んで下さったということだけでも、父母には無条件に感謝しなければならないのです。「父母のせいで、自分は不幸な幼少時代を過ごした」と親を恨んでいる人は、「父母は絶対許せない、感謝できない」という(不調和の)想念を持ち続けているので、幸せになりたいと思っても、幸せになれないのです。

なぜなら、人間は神の子で、神の生命が天降って父母から誕生したのです。父母を恨んでいると、本来、父母を通して流れてくるはずの神様の無限の愛が自分の心で頑なに拒んで堰き止められることになり、神の無限供給が受けられなくなるのです。

まず、この世に誕生させて頂いた父母に感謝することが、子としての一番大事な務めなのです。

生長の家では「人間がこの世に誕生するのは、類は類を呼ぶという「同類親和の法則」に従って自分の魂と同じような傾向を持つ両親の精神波動に引き付けられ、母親の体内に宿る」と説いています。この両親の元に生まれるのが、自分にとって一番相応しい魂の勉強ができると、子は親を選んで産まれてくると言われています。つまり、私たちは、“まっさら”の魂としてこの世に生まれてきたのではなく、前世からの身業・口業・意業というものをある程度持っていて、前世からのやり残した課題を持ってきているのです。そこで、この世では、業の類似したものが親子となって、神の子の本質である神性・仏性を表現するために(魂の未開発部分を開発するために)、今世で「身・口・意」の善業を積んで、魂を磨き課題を解決していくのです。

 

 

先祖供養の意義

 

先祖供養の意義は第一義的には、人間は神の子ですから、実相においては完全円満であり、何一つ不完全はないのです。神の子である人間の霊が、お宮を付け加えてもらわないと、霊界の生活に困るようでは、その霊は神性の自覚が足りないということになります。

それで、神性を自覚した霊にとってはどんな形式によっても祀ってもらう必要はないのです。

第二義的には、まだ、悟りの境地に達していないで、肉体的自覚から脱し切っていない霊魂は習慣的に空腹感を感じ、餓鬼道的に苦しむ者もあるので、応病与薬的に「食を欲するものには食を与え、薬を欲するものには薬を与え」という訳で、宮を欲するものには宮を与え、仏壇を欲するものには、仏壇を与えてこれを供養して誠を尽くすことが先祖に対する道となります。従って、祖先が仏教で続いてきた家系の霊を祀るには仏教的儀礼に則ってやるのが良いのです。

 

白鳩会総裁・谷口純子先生は、普及誌『白鳩』No.76の中で、次のようにお説き下さっています。(8~9頁)

 

  ところが、肉体が死んだらそれですべては終わると思い、肉体に強く執着していると、いつまでも地上の生活から心が離れることができない。そんな人が生前何かの病気で苦しんでいた場合、肉体が無くなった後も、まだ肉体があると思い、死に至った病気で苦しむのだ。

先祖供養で、お経を読むことの意味は、お経には人間の命は永遠で、肉体は人間自身ではなく、置かれた環境で生きるための宇宙服のようなもので、神の命が人間の本質だという真理を悟らせるためだと説かれている。お経の供養により、肉体を脱した霊は肉体への執着から解き放たれるのだ。

 

先祖、祖父母、両親から神の生命が流れ入り、その命を受け継いで、この世では肉体を道具として今、私たちは生きているのです。私の生命の根元に先祖、神様の存在があり、全ての親が子の幸せを願うように、先祖は子孫の幸せを願っておられることを深く自覚することが大切です。

毎日、仏壇にご飯や季節のくだもの、お菓子を供え、家族皆で手を合わせ、報恩感謝の気持ちをあらわしていきましょう。

ご先祖様に「人間・神の子」の真理が説かれた聖経読誦を続けていくと、解脱を得られたご先祖様が守護神となり子孫を護ってくださいます。

人間を木に譬えたら、大地は神、根は先祖、幹は両親、枝葉は子孫です。枝葉に花が咲き、良き実を結ぶには親に孝養、先祖に供養を尽くすことが大事です。命の根源である神に感謝し、根である先祖に養分を充分与えることによって、神様、ご祖先様から護られ子孫は運命が好転し、幸福・繁栄の道を歩むことができるようになるのです。

 

 

先祖に対して聖経を読誦する時の心得

 

生長の家創始者・谷口雅春先生はご著書『新版 人生を支配する先祖供養』の中で、「先祖に対して聖経を読誦する時の心得」について次のようにお説き下さっています。(32~34頁)

 

祖霊に対して聖経を読む時には

1.唯、尊敬と報恩・感謝の念をもって読むこと。

「今まで色々と子孫が受けてきた密(かく)れたご恩や、陽(あらわ)なるご恩に対して、唯感謝して真理の書かれたお経を霊界に対して読み上げますから、どうぞお聴き下さいませ」と誦えて、“だだ感謝”の念をもって読誦するのが良い。

2.聖経の意味を説明する。

聖経を読む前に、先ず、「この聖経『甘露の法雨』はあなたが祖先から伝承してきた○○宗の教えの真理を最も解り易く、現代語で書かれたものですから、心を集中してこの聖経を聴き給うて、その真理を体得し、霊界において解脱を得て神通自在となり仏陀の境涯に達し給え」と生きている人に語るように唱えてから聖経を読むのが良い。

3.読誦の時間を定める。

毎日、一定の時間を決めて正確に必ず読誦するようにするのがよい。霊界には霊的訓練があって、ご先祖様も多忙なのです。毎日不定な時間に読誦しては、その聖経読誦を霊が拝聴できないのです。だから聖経を読み終わる時「毎日、この時間、又は何時に聖経を読誦しますから必ずその時間に来たりて傾聴してください」と約束しておくのがよい。

 

人工流産児の供養について 

人工流産は、折角生まれ変わる必要を感じて受胎して来た霊魂を強制的に霊界に復帰させることになるので、これは大変な霊魂に対する冒涜であり、大きな罪を重ねることになるのです。それは例えば、大学へ入学した学生が勉強の途中に、本人の過ちでも、意志でもないのに、強制退学を強行させられた様なもので、その霊魂は非常にショックを受けることになります。

胎児は母親の温かい胸に抱かれ愛情を受けることなく、闇から闇へ葬られることになり、その胎児の悲しみと無念の念波が今、生きている波長の合う兄弟姉妹と感応するのです。人口流産児と波長の合った子は、昼夜逆転し、部屋に引き籠もり、愛情に飢えた幼児のようにお菓子を貪り食い、正常な日常生活を送ることができなくなります。

そのような胎児の霊魂に対しては、母親は人工流産したことを懺悔し、名前をつけてあげ、自宅の仏壇に位牌を祀り、幼児が好むものをお供えし、毎日、愛児を抱きしめるような気持ちで、真心を込めて聖経を読誦してあげるのが良いのです。

 

今月も普及誌7月号には、先祖供養をされている方の喜びの事例を紹介し、又、先祖供養についての素朴な疑問に対しては、“先祖供養Q&A”でお答えしております。参考になると思いますので是非お読みください。

また、生長の家白鳩誌友会が全国で開催されています。是非、地元の白鳩誌友会にご参加下さい。