私は5歳の時に川で溺れて両耳を悪くして以来、30歳過ぎまで、会話が苦手で引っ込み思案で、劣等感の固まりのような生き方をしていました。
昭和54年に妹が病気をしたことで知り合った信徒の方が、母に生長の家を伝えてくださいました。
44歳の時に結婚相手を紹介され、当時75歳の母と嫁姑のご縁を頂きました。その母は初めて会った時から認知症で、妄想に支配された状態でした。私はその母を見て何故か「この人のお世話出来るのは私しかいない」と直感し結婚しました。その後8年ほどして、※誌友会などに参加するようになりました。
母との生活は10年半で、後半の5年半が在宅介護でした。80歳の母が毎日、朝から晩まで「アンタ私の財布盗ったしょ~!」と繰り返します。
「認めたものが現れる」。そう、生長の家では教えられているので、寝たきりや車椅子等の状態に応じたお世話はさせて頂きますが、私の心の中では、母を病人とは観ていませんでした。
私は「母を幸せな心境にして霊界に送る」と目標を定めました。その中で、まず3年、と期限を切り、もう一度自分の足で歩いてもらう、故郷の幼なじみ、弟、妹たちに会わせる、一度は講習会に一緒に参加するという母が喜ぶ目標を立てました。この目標はすべて2年で達成しました。
妄想に明け暮れる母から、目の前の問題から逃げてはいけないこと、そして目の前の現象に振りまわされないことを教えられました。真心でお世話をさせていただき、ただ自分自身が体力的、精神的に限界が来たときには、ショートステイにお願いし、休みました。
一生車いすの生活、と言われた母は7カ月でつえもなしに歩くことができ、2年少しで妄想は全くなくなりました。
そして平成9年、86歳のとき、母は苦しむこともなく、わが家から静かに旅立ちました。(札幌、T.Yさん、後編に続く)
※誌友会;少人数で行う教えの勉強会