WEB版誌友会

2015.10 『あなたから、愛を広げよう』

2015年9月9日  

2014.10

  テキスト

『日々の祈り』 谷口雅宣先生著

『“森の中“へ行く』 谷口雅宣先生・谷口純子先生著

『新版幸福を招く365章』 谷口雅春先生著

 

今年の夏は各地で豪雨や土砂崩れが頻発し、先月も広島や北海道で大きな被害が発生しました。被災地に大勢のボランテイアの人達が集まり、土砂で埋まった家々の後片付けを懸命に手伝っておられる様子がテレビで放映されていました。「被害に遭われた方のことを思うと、少しでも何かお役に立ちたくて」とボランテイアに参加した若い学生さんや男性・女性が応えておられるのが印象的でした。

今月のテーマは、「あなたから、愛を広げよう」です。

 

すべては、神において一体である

このように、周囲で不幸な出来事が起きたり、困っている人を見ると、私たちは、「お気の毒に!さぞ、お困りでしょう。何かお役に立つ事はないかしら?」と他の人のことを思いやる心が起きます。

これは、人間が皆、神の子で、神の無限の智恵と愛と生命によって生かされ、繋がっている兄弟姉妹だからです。他の人が困っていたり、苦しんでいることを知ると黙って見ていられないのです。家族や知人友人に限らず、人の苦しみを除き、楽を与えてあげたいという慈悲の心が起こります。

生長の家では、人間のみならず、動物も植物も鉱物も、自然エネルギーも天地一切のものは全て、神の生命のあらわれであり、神によって生かされ、神の生命と繋がっていて、「すべては、神の生命において一体である」と説いています。

 

神の愛の実践者として

人間の本質は、神の子で、内に神性・仏性が宿っています。肉体を使って神さまから頂いている生命を生き、智恵に導かれ、神様から豊かに流れてくる愛を他に表現する時、神性・仏性が表現されるのです。それが、私たちが、神の愛の実践者である所以です。神様の豊かなる愛を他に表現する時、そこは、真なるもの、善なるもの、美なるもので満たされ、調和が実現し天国浄土となります。

太陽からエネルギーを得た植物は、動物のために酸素や糖を豊富に供給します。植物から力を得た動物は、二酸化炭素を植物に与え返し、花粉や種を遠方に運んで植物の繁栄を助けます。一見、無関係の生物界のすべてのものが、与え合いの愛の活動をしているのです。

 

生長の家総裁・谷口雅宣先生はご著書『日々の祈り』の「神の愛の実践者を自覚する祈り」の中で、次のようにお説き下さっています。

神さま、わたしは「神の子」ですから、神さまの愛の仲介者であり、かつ愛の流れを促進する実践者です。神さまからいただいている豊かな愛を、必ず他へ回します。そのとき、わたし自身の生命を注ぎ込むことで、新たな善と美と調和が顕れます。それがわたしの喜びです。わたしは神さまの愛の流れを堰き止めて、独占しようとはしません。自分のところへだけ流れを溜めようとすれば、豊な流れは堰を破り、破壊の無秩序が生まれます。わたしは神さまの愛の流れを仲介するパイプです。優秀なパイプは、上流から下流へとただ豊に流すのです。 (同書122頁)

私たちは、神の愛の実践者として、人間だけでなく自然界のすべてのものと与え合い、生かし合いの生活をしていきましょう。

 

与えよ、さらば与えられん

谷口雅春先生は、ご著書『新版幸福を招く365章』の中で次のようにお説き下さっています。

あなたを生かしているのは神の愛である。心臓が動いているのも、食物が与えられているのも、消化器がそれを吸収するのも呼吸器が呼吸をいとなむのもすべて神の愛である。神の愛をそんなに与えられていながら、自分が少しもそれに報いることなく、放出することがなかったならば、愛は循環しないことになるのである。あなた自身を通してすべての人々に「神の愛」を放出せよ。「神の愛われに流れ入り給いて、われを通して此の人を祝福し給う」と遇う人々毎に念ぜよ。愛念を送れば、愛念が返って来るのである。(同書62~63頁)

神さま(自然)から、今まで、どれほど、多くの愛を、恵みを頂いているかを知り、私たちは神の愛の実践者として、他の人や社会のために何が出来るかを考え、出来るところから実行して行きましょう。自分が与えることが多ければ、また自分に与えられることも多いのです。

これは「与えよ、さらば与えられん」の法則です。この法則を知ることが大切です。自分の幸福というものに執着していた心を、社会や人類の幸福というものに心の向きを変え、神の愛の実践者として他に愛を与える時、神性を生きていることが嬉しくなり、自分が幸せになれるのです。

 

四無量心を行じ、自然と共に伸びる

真の愛は、神の無限の愛、仏の四無量心で、「慈・悲・喜・捨」の心です。

慈とは、他の苦しみを除いてあげたいと言う心です、悲は、他の悲しみを共に悲しみ楽を与えてあげたいと言う心です。この二つを、抜苦与楽、「慈悲」の心といいます。また、喜は、他の喜びを共に喜ぶ心です。捨は、“執着を放つ”心です。愛するとは、小鳥を筲の中に入れて愛玩することではなく、小鳥を自由に放ちやることです。執着の愛は、利己的で、人や動物や物や自然を自分のものにしたい、自由にしたいという心で、真の愛とは違います。

私たちは、自然を愛すると言いながら、自分の好きなものは身近に置いて、快適な生活をするために、山を崩し、森林も草花も動物の住みかまでも破壊してきました。その結果、生物の多様性が損なわれ、多くの生物種が絶滅して自然が著しく破壊されています。

私たちの物質的に豊かな生活を送れるのは、地下自資源である石炭、石油、天然ガス等の化石燃料を大量に消費し、電力を供給しているからです。その結果、二酸化炭素の排出量が増大し、地球温暖化が進み、気候変動を招いています。

また、発展途上国の生活水準が上がり、肉食の需要が高まったことも自然破壊の要因になっています。家畜飼料の生産や放牧で森林が伐採され、家畜の出すメタンガスなどが原因で、畜産業から大量の温室効果ガスが発生しています。特に、忘れてならないことは、食肉の生産を上げるため、家畜、養殖魚に世界の穀物生産量の三分の一が飼料として与えられ、これは、間接的に貧しい人から食糧を奪うことになっています。肉食人口の増加は穀物の価格の高騰を招き、深刻な飢餓の問題を招いています。

「単に美味しいから」という理由で肉食をするのではなく、私たち一人一人が、「肉は美味しいから食べたい」という執着を断って、肉食の回数を減らしていきたいものです。

そして、自然と調和し、他から奪うのではなく、与え合い、出来るだけ二酸化炭素を出さないライフスタイルへの転換が求められています。今、生長の家では出来るだけ肉食を減らし、地産地消を心掛け野菜中心のノーミート料理をお勧めしています。

慈悲喜捨の最後の“捨徳”は、四無量心を完成する最も難しい愛行ですが、ノーミート料理に取り組むことは、立派な愛行となります。

 

ここで、谷口雅宣先生・谷口純子先生著『“森の中“へ行く』の中で次のようにお説き下さっています。

すべての人間が捨徳を成就していく時代が来るのは、まだまだ先のことでしょう。しかし、私たち信仰をもつ人間は、やはり「神の無限の愛」や「仏の四無量心」を一つの理想像として、その理想を地上に顕現する努力をすべきであり、それが使命でもあります。だから、この理想の実現を目指して、我々の自然との関係も、快楽を得るためにではなく、執着を絶って“放つ愛”に向かう、そういう方向に魂を向上させることが、本当の意味での“自然と共に伸びる運動”と言えるのです。     (同書195頁)