2015.01
テキスト
谷口雅宣先生著 『生長の家ってどんな教え?』
谷口純子先生著 『白鳩』普及誌1月号no.58
新しい年を迎え、今年こそはと、夢や希望の実現に向かってスタートを切られた方も多いのではないでしょうか。
若い人だけでなく、何歳になっても、理想を持って、前向きに生きることは素晴らしいことですね。
今月のテーマは、「小さな習慣で毎日が変わる」です。
心の法則
日々の暮らしの中では、つい目の前の物事に心が捉えられて、夢や希望は生活の中に埋もれてしまいがちです。夢や希望を実現しようと思ったら、まず、自分の生活習慣を振り返ってみてマイナス思考であれば、日々の心の持ち方を明るい積極的な方向に向けていくことが大切です。
心を明るくするには、意識して善いこと、楽しい事、素晴らしいこと、感動すること等を見つけ、それらに注目して習慣になっている消極的な心の持ち方を意識して幸福を感じる方向へと変える努力が必要です。
生長の家では、私達が心で想うこと「意」と、口を使って話す発生音「口」と、体で行う表情「身」の三つをコトバといい、この「身」「口」「意」の三つの行いが積み重ねられて習慣となり、「身、口、意」の三業となって(善い習慣は善業、善果となり、悪い習慣は悪業、悪果となって)自分の運命を自分で創ると教えていただいています。
また、人間の実相(本質)は神の子であり、私たちが、「今より、もっと良くなりたい。幸せになりたい」と思うのは、私達の内に、既に、完全円満な神の無限の智恵、愛、生命、供給、喜び、調和の六つの御徳(神性・仏性)が与えられているからで、神の子の完全円満な素晴らしさを現わしたいと思うのです。
そういう神の子の内なる声を正しく聴いて、自分の理想を実現したいと決意したら、「私は神の子です。既に私の希望は実現しました。ありがとうございます」と、神様に既に受けたりと感謝の祈りをして、毎日、神の子の神性・仏性を表現するよう努力し、それを継続して善い習慣としていくことが大切です。
この神の子の素晴らしさを表現する方法について、生長の家総裁・谷口雅宣先生はご著書著『生長の家ってどんな教え?』の中で、次のようにお説き下さっています。(137~138頁)
われわれが神の子の実相や仏を現すのは、「身・口・意」によって行います。「おはようございます」と言うのは、口(発生音)できちんと、「おはよう」という親愛の情を伝えて、また体や表情(身)によってニコニコと笑顔を作りますね。(中略)そして、心(意)から親愛の情をこめて「おはようございます」と言えば、これでちゃんと「身・口・意」の三業による愛の実践になるんですよ。
そのようにして、毎日、自分の中の仏や神の子を表現する実践をしていただくと、それに伴って回りの人々の反応が変わってきます。自分にも良い習慣がつきます。朝の挨拶が意識しないで自然に出てくるようになる。こうして、「私は仏である、神の子である、家族も仏である、神の子である」という自覚が、“現在意識”から“潜在意識”のレベルにまで浸透していくことになると思います。三業による真理の実践を継続していくことをお勧めします。
このように、毎日、家族は勿論、誰にでも気持ち良く挨拶して、神の子の神性・仏性を明るく表現するように努めていくと、善い習慣が身について、自分の心も明るくなり、家庭も職場も調和して「幸せだな。有り難いな」と心の底から実感できるようになります。
この小さな積み重ねが習慣となって、毎日の生活が喜びに満ちた幸福の生活へと変わってくるのです。
私達の心は複雑な構造を持っていて、自分で理解する表面の心(現在意識)と自分では把握してない奥底の心(潜在意識)があります。私たちは現在意識が感じたこと(想念)で、自分を取り巻く環境を捉え、頭の中で自分なりに解釈し、それらが蓄積されて潜在意識として形成されていきます。
潜在意識には長年積み重ねられた心の習慣性がありますから、無意識の内に、習慣の心が働いて、いつもと同じように考え、行動して自分の人生に影響を及ぼしています。
プラス思考の人は、物事を明るく楽観的に捉えますが、マイナス思考の習慣の人は、過去の事に拘ったり、不足、不満の心や、まだ起きぬことまで心配したりして、取り越し苦労や持ち越し苦労をしてしまいます。取り越し苦労ばかりしていると、悪いことを連想して悪を認めることになり、「心で認めたものが現れる」という「心の法則」が働いて、不幸の人生を創ることになるのです。この心の法則を知って、心の習慣性を変えるには、毎日意識して、日常の当たり前と思われることの中にある小さな喜びや感動、感謝すべきこと等を見出し、言葉で表現していくよう心がけましょう。
私たちは毎日、心で、何を思い、どういう言葉を発し、どういう行動をとり、どのような表情をするかによって、自分の運命を刻、一刻と刻んでいくのです。日々、心が明るくなる善いことを見出して喜び、感謝を表現する生き方は、人間が本来持っている神性・仏性の神の子を表現する生き方で、身、口、意の善い習慣となり、毎日が明るく喜びの生活へと改善されます。このような小さな善業(善い習慣)を積んでいくことにより、私たちは人生を好転することができるのです。
日時計主義の実践
このように、人生を明るく幸福なものにするために、生長の家では、「日時計主義」の実践をお勧めしています。
日時計主義とは、日々の生活の中で、与えられていること、恵まれていること、喜び、感謝、希望等、善きことに注目し、それを心に強く印象付けることによって、実際の生活を明るく感謝に満ちたものに変革していく生き方です。特別な事ではなく、日常の当たり前の生活の中で、嬉しいこと、幸せと思うことを探していくと、私達の回りには、感謝すべきことや素晴らしいものであふれています。
例えば、家族が毎朝元気で起きてくること、太陽の光、空気、水、季節毎に咲く花々や木々の緑、小鳥のさえずり等、全てが自然(神)の恵みによって生かされていることに気づきます。そのことに気が付くと心の底から喜び、感動が湧いてきます。
日時計が太陽の輝く時刻のみを刻むように、私たちも、日常の喜びの輝く時刻のみを記憶し、小さな喜びや感謝、感動等を『日時計日記』に書き続けることによって、明るい幸せの方向に心を向けることができます。この心の習慣を確立することが重要です。そして、家庭や職場の人たちに接する時、その喜びや感動の気持ちを言葉で、体で表現していくと周囲の人達の反応が変わり、皆、神の子であり、全ては神によって生かされ、神において一体であるという自覚が深まり、周囲は調和してきます。
希望実現のために、一歩、一歩、その目標に向かって日時計主義を実践し、日々、人生の光明面を見て、『日時計日記』に書き、自分の心を見つめ、希望や理想を明らかに意識して、心の法則に基づいて生活していきましょう。
白鳩会総裁・谷口純子先生は、『白鳩』普及誌1月号no.58の「小さなことの中に」で、日時計主義の生活について、次の様にお説きくださっています。(12頁)
喜びや幸せは、大きな華々しい出来事の中にあるのではなく、日常の小さなことの中にこそ、本当の喜びがある。大きな災害に遭わず、当たり前に日常があるということは、何物にも代えられない幸運なことである。このようなものの見方が、潜在意識をプラスの方向に転換する最も効果的な方法であり、幸福生活の秘訣でもある。そんな人生の光に注目する生き方を「日時計主義の生活」と呼んでいる。
日時計主義の生活を続けていくと、喜び、感謝、感動のプラスの心で潜在意識が満たされ、善い習慣となって、人間の本質である神性・仏性を表現する幸福生活が実現するでしょう。